『インフォーマ-闇を生きる獣たち-』が問いかける「情報を扱う者の資質と資格」

沖田臥竜のINFORMA奇譚 EPISODE10

中盤戦ともいえる第5話に突入する『インフォーマ-闇を生きる獣たち-』。男たちは、命をかけ、ある情報を奪い合う。なぜ、情報ごときにそんな価値があるのか? その答えも作品内で語られていくことになるが――『インフォーマ』の生みの親である作家の沖田臥竜氏は、なぜ、姿も形もない「情報」という厄介なものを物語の中心にすえようと思ったのか。沖田氏が考える「情報」の本質とは? 『インフォーマ』の副読本ともいえる書き下ろしコラム。

寒い冬の夜に『インフォーマ』で胸を熱く!

ネフリの極悪女王、なにあれ。開始30分でもう泣けるやん……。

 失礼。冒頭から全然、関係なかった。

 めっきりと寒くなったが、『インフォーマ』を観て、胸を熱くしていただけているだろうか。自分にとっても、振り返ると、今年は熱い夏だった。10代の頃、見るものすべてが輝いていた夏のようだった。

 本当に三島は、最後まで生き残ってくれるのだろうかと毎週ドキドキしてくれている諸君。心配するな。オレもドキドキしている。ただ言えることは、今夜の『インフォーマ』もすげえ!ということである。

『インフォーマ−闇を生きる獣たち−』第5話の幕が上がる前に、この作品の重要な題材である「情報」というものの本質を少し解説しよう。よくあるだろう。「これを読めば、きっとあなたもインフォーマ」……みたいなヤツだ…。

 情報というものは、あくまで先手を突くものであり、決め手になるものではない。ましてや、それを手にして悦に入るものでもない。

 同じネタだったとしても、使い方を間違えば凶器にもなるだろうし、不発に終わったり、自爆することもあるだろう。そして情報というものは、常に生きている。なぜだかわかるだろうか。情報は、人間が生み出しているからだ。

そして、情報に価値をつけているのが人間であって、その情報に一喜一憂してしまうのもまた人間なのである。

 もしもだ。それを意図的にコントロールできる存在がいればどうなるだろうか。私は思う。あらゆるものに対して、主導権を握り続けることができると。木原慶次郎もそう考えたのではないだろうか。

 メディアをコントロールしようと思えば、とにかく先手を取り続けなければならないわけだが、それは実質不可能だ。なぜならば、人の数だけ情報があり、どの情報を取り扱うかには、それぞれの打算や思惑が入り乱れているからだ。

 大切なのは、分析からの教訓であり、失敗から多くを学んでいかなくてはならない。そしてうまくいったときには、その成果を誇示するような、自己顕示欲を発揮してはいけない。自身がやったことの痕跡すら残してはならないのだ。

 少し愚痴をこぼしていいだろうか。マスメディアの体たらくに飽き飽きしているのだが、いつからジャーナリズムは、人を陥れることによって起きる論争を恥じらいも罪悪感の意識もなく報じることを仕事とするようになったのだ。木原だったら、鼻で笑っているだろうな。

「紙が売れへん? そりゃそうやんけ。お前らがつくる記事の質が、人間として失礼やからやんけ」と。

 すまないが、過去の事案をほじくり返して、一方的な話に耳を傾けて、火をつけて燃やすことにジャーナリズムの大義はないぞ。

「情報は先手」であることを理解して物語、たとえばドラマのプロットを描くとき、「今」を描いていては遅すぎるのは当たり前だ。それがドラマ化され、放送されるタイミングに焦点を当てていないと、自分でフィクスさせることもできないし、読み手に受け入れられることもない。

 特にリアリティが重要なクライム・サスペンスの世界では、古いということは致命的でしかない。色褪せた内容で戦えるほど甘くはない。

今回の一コマ「限定品の番組ポスター。もちろん転売禁止」

 常日頃から世の中の動きを観察し、社会を切り取る角度を見定め、どこにフィーチャーすれば、数年後でも話題となって興味を惹かれるのかを考える。私はペンを握るときには、最低限、誰もがまだ見ていない場所、領域を見ている。

ーその数年先の世界に向けて、未解決事件をかければどうなっていくのだろうかー

 そう考えたのだ。

 私は未解決事件の本(『迷宮 迷宮 三大未解決事件と三つの怪事件』2020年発行)を出版しているので、未解決になった背景については、調べれば調べるほどわからなくなるという感覚を肌で知っている。捜査当局が、総力をあげて乗り出してわからないのだぞ。

 よく悪戯に犯人説を述べられたりするが、それが事実ならその時点で、その未解決事件は解決していることになる。

 ただ結論から言えば、4年前に私が出版した未解決事件の本が突然、社会からフォーカスされたのは出版から3年たった昨年である。なぜだかわかるか。私が先手を取っているからだ。週刊誌が大々的にキャンペーンを張った未解決事件を、この本ではすでに取り上げていたからだ。つまり、先を読む力を持っているからだ。

 さて、さらに自慢話を始めてしまいそうなので、今回はこれくらいにして『インフォーマ』である。

 ABEMAを前に『インフォーマ』を毎週ワクワクして観ていただいている人たちに伝えておきたいことがある。

 実はだ。ドラマをこれからますます楽しむために小説『インフォーマ2 ヒットアンドアウェイ』(サイゾー文芸部)を読んでもらってもよい頃合いまで来ていたりするのだ。

 ドラマを見ながら、小説は小説で楽しめる手法を私が使っている。特に高野龍之介と河村愛之介のエピソードは、小説『インフォーマ2』にしか収録していない。それを読みながら、『インフォーマ -闇を生きる獣たち−』を観れば、「プロ野球を10倍楽しく見る方法」同様に、いろいろな仕掛けが施されていることに気がついてもらえ、よりドラマを観るのが楽しくなってもらえるはずだ。

 こっちの世界ではこうで、こっちではこうなるのだ!……ああ!喋ってしまいたい!!…失礼。

 マンガ『インフォーマ』(小学館・マンガワン)でも愛之介編が始まっている。

 ドラマ、小説、マンガとさまざまな『インフォーマ』を楽しんでもらいたいと思う。

『インフォーマ』を語るときに、私がこだわったのは、木原慶次郎が触れるものすべてが『インフォーマ』に染まるということだった。

 もう気づいてくれているだろうか。『インフォーマ』を観てくれている視聴者の全ての人々も、木原にとっては『インフォーマ』の一員なのである。木原流に言えば、ネタ元なのである。そこに三島が交わることで、とてつもない科学反応が起き、すべてを巻き込んでくれているのだ。

 『インフォーマ』という物語が何を変えたかと言えば、情報屋の価値を高めたことだ。世の中を見ればわからないか。軽々しく情報屋風情がーーと、今の世の中はなってはいまい。ただし冒頭と重複するが、大事なのはその使い方である。

 木原も三島も人を裏切ったりしてまで、情報に固執したり、情報を駆使しようとしたりはしない。

 今の世の中に一番伝えたいことは、そこである。話題になればー目立つことができればーそれでよいということではない。扱う情報の内容や質よりも、人間としての質がまず優先されなくてはならないのだ。

 木原や三島が、親しかった人間を裏切ってまで得た情報によってヒロイズムを感じていたら、がっかりしないか。   

 それはフィクションも現実も同じことで、そんなものに人々の共感や興奮を得ることなんてできない。みんなを惹きつけられる、「すごいね」と言われるような物語にはならないのだ。

 4話では広瀬が突如、大胆な行動に出た。そして、迎える第5話である。

 そろそろ龍之介の「都市伝説みたいなファイルは実在するんでしょうか?」の名台詞が今夜あたりに聞けるのではないか。

 中盤戦のスタートである。今夜も寒い夜に熱く興奮して欲しい。

 私は『インフォーマ』のプロデューサーのジョニーとビリヤードをしながら、オンタイムでその動向を捉えたいと思う。なぜかって、『インフォーマ』は実在するからに決まってるからではないかと言えば、言い過ぎだろうか……。

(文=沖田臥竜/作家・小説家・クリエイター)

ドラマ『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』
毎週木曜日23時~ABEMAにて放送

週刊タイムズの記者・三島(佐野玲於)は、世間を騒がせている〈闇バイト殺人事件〉の黒幕を調べるために、編集長の命でタイ・バンコクへ飛ぶことに。そこで三島を待ち受けていた人物は……2年前の〈火だるま殺人事件〉で三島に地獄を味わわせた、“インフォーマ”の木原(桐谷健太)だった。木原に翻弄されながらも取材を進める三島。そして2人の前に、インフォーマを名乗る謎の男・鬼塚(池内博之)が立ちはだかる。木原と三島は、〈闇バイト殺人事件〉で盗み出された”謎のブツ”をめぐり、鬼塚・そして現地マフィアと壮大な情報戦に巻き込まれていく——。

『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』番組ページはこちら

原作小説『インフォーマ2  ヒット・アンド・アウェイ』 
沖田臥竜・作/サイゾー文芸・刊/1400円+税
amazonなどネット書店、全国書店で発売中

この記事を書いた人

沖田 臥竜

作家・小説家・クリエイター・ドラマ『インフォーマ』シリーズの原作・監修者。2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、小説やノンフィクションなど多数の作品を発表。小説『ムショぼけ』(小学館)や小説『インフォーマ』(サイゾー文芸部)がドラマ化もされ話題に。最新刊は『インフォーマ2 ヒット・アンド・アウェイ』(同)、『ブラザーズ』(角川春樹事務所)。調査やコンサルティングを行う企業の経営者の顔を持つ。